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千葉地方裁判所 昭和46年(わ)671号 判決 1975年9月30日

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四六年九月二四日午前五時五五分ころ大型貨物自動車(埼一一い二七四号)を運転し新田方面から平田方面に向かい時速約四〇キロメートルで進行し、市川市新田一丁目一三番一号地先道路(幅員約一三メートル)に差しかかった際、左方を同方向に、進行する中山柳三(当六七年)運転の自動二輪車を認めたが、同所は進行方向に向い左側がきわめて狭隘になっているのでそのまま運転を続けて同車両を追い抜くと、同車両が自車に接触する危険があるので同車両の動静を注視し十分な間隔を保つかまたは一時追いこすことを見合わせるかなど安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り自車の前方を同方向に進行する普通貨物自動車を追い越すことに注意をうばわれ一時同車両の注視を怠った過失により、自車左前部を同人に接触衝突させて転倒させ同人を左後輪で轢過し、よって同人に対し脳挫傷の傷害を負わせ即時同所において同傷害により死亡するにいたらしめたものである。」というにあり、右公訴事実記載に対する被告人の弁解の要旨は、「当日千葉県市原市五井の出光興産にコンクリートパネル一一本(一本一トン)を配達すべく右パネルをいすず一一トン車に積載し午前四時ころ埼玉県の自宅を出発し、午前六時ころ国鉄市川駅前を通過し千葉方面に向かい本件現場付近に来たとき前方をのろのろ走っている日野自動車製四トン車に追いついた。この場所は道路中央がグリーンベルトであるためと四トン車が中央を走っていたので追い越したいと思ったが追い越すことができないまゝ四トン車に追従しながら事故地点の手前まで来た。そのとき四トン車は道路の中央付近を走っていたが、そのとき黒っぽいジャンパーを着た男の人の運転するバイクが四トン車の左横を走っているのが見えた。自分の車はチャンスがあれば追い越そうとしていたのでグリーンベルトに最も近い右側を走っていた。信号機のある交差点の先ではグリーンベルトはなかったし、追い越し禁止場所でもなかったのでグリーンベルトが終ると同時に追い越しにかかった。その際の自分の車の位置は車体の右端が中央線すれすれであり、対向車もなくその位置で追い越し体制を続けていた。衝突地点とされている辺りでもその位置に変りはなく、自分の車の運転台部分が四トン車後部と並行になった位置にあり右側前輪タイヤはセンターラインの上に位置して走っていた。センターライン上をそのまま走り約二〇〇メートルぐらい進行して四トン車の前に出た。そのまま六〇キロくらいの速度で目的地に向かい午前七時半ころ五井の出光興産に着きパイルおろしの仕事をした。事故現場付近で車体に衝撃を感じたことはない」というにある。そこで検討するに、右公訴事実記載の頃、その場所において右公訴事実記載の被害者中山柳三が何者かの車両によって轢死したことは本件証拠上明らかであるが、右被害発生の目撃者は皆無であり、しかも被告人は当公判廷においては勿論捜査段階においても終始犯行を否認し続けているので、本件につき被告人の罪責の有無を決するには情況証拠の検討に頼らざるを得ない。そこで以下一応情況証拠と考えられるものについて検討することとする。

二、積極的情況証拠について、

(一)  証人森比呂志の当公判廷における供述によれば、当時同証人は群馬県伊勢崎市のブロック会社の自動車運転手をしていた者であるが、本件事故発生の頃、本件事故現場付近をトラックを運転して被告人車両の後方約五〇メートルのところを同方向に走行進行していたこと、本件衝突現場とされる地点を被告人車両が通過した直後、同証人車両の同乗者が倒れている被害者を発見し同証人もそれを確認したこと、右の状況を見て同証人及び同乗者である鈴木進は被告人車両が轢過したのではないかと直感し、被告人車両を追随しながらその車両番号を確認したりしたが、その間被告人車両が追越禁止のところを追い越したり信号を無視して進行したとかいうことで轢過したのは被告人車両であるとの確信を深め警察に通報したものである、とのことである。右供述はそれ自体からも明らかであるように事故自体を目撃したものではなく被告人車両が通過した陰に被害者が倒れているのを目撃したというのに過ぎないものであること、そして同証人らが被告人車両が被害者を轢過したと直感したのも確かな根拠に基づいてのものではなくただ単に何となくそう思ったという程度のものであること、被告人車両が追い越し禁止のところで追い越しをしたり信号無視の走行があったので、同証人はそれを轢き逃げ車であるとの確信をもったという点についても、他方そのような走行をしている被告人車両の速度が時速六〇キロ程度であるとの同証人の供述(この程度の速度は早朝であればむしろ自然であり、逃走車らしかぬことである)、その場から同証人自身が二キロメートルも追随して走行していること(被告人車両が追い越し禁止場所の追い越し、信号無視の走行などをくり返したとすれば、二キロもの距離を追随することができないのではないか)等の点を考えると、同証人は一一トン車が事故を起したと軽信した結果、例えば追い越し禁止区域でないのに禁止区域と錯覚し、或いは信号無視の点も明確に確認していないのではないかとの疑問が残ること等の点から同証人の右趣旨の証言をそれほど重視することはできないと考える。

(二)  司法警察員菊地久雄作成の実況見分調書には「(被告人運転の大型貨物自動車の)左側後部ダブルタイヤの前輪外側見取図地点に血痕並びに肉片と思料されるものが一一センチ×六センチにわたり付着していた。さらに左側後部ダブルタイヤの後輪外側見取図地点に血痕並びに肉片と思料されるものが二一・五センチ×二四センチにわたり付着していた。左側車台後部荷台の台本見取図地点に小豆大の肉片または脳片らしきものが付着していた」旨の記載とこれに相応する図面と写真が添付され、また第二回及び第三回公判調書中の証人内田圭二の供述記載部分(以下内田証言という、以下同じ)、第三回公判調書中の証人菊地久雄の供述記載部分、証人大川盛次の当公判廷における供述によれば、同人らは昭和四六年九月二四日実施された被告人車両の実況見分に際し右実況見分調書記載の個所に血痕及び肉片、脳片とおぼしきものが付着しているのを発見し、これを鑑識係に採取させたうえ千葉県警本部刑事部鑑識課の鑑定に委ねたことが認められる。しかしながら千葉県警察本部刑事部鑑識課員片岡弘道作成の「検査結果についての報告書」によれば、同人が鑑定依頼のあった脳片及びガーゼ(血痕様のものを採取したものと思われる)について各ルミノール発光試験及びリューコマラカイト緑試験を実施した結果、反応はいずれも陰性であり血痕の付着を認めない旨の鑑定をしたことが認められる。ルミノール発光試験及びリューコマラカイト緑試験はいずれも血痕予備試験のためのものであり、その反応はいずれも極めて鋭敏なものであるが血痕以外にも反応する可能性があるため、予備試験で陽性反応が出たものについてのみ血痕本試験を実施するものとされていること、従って右の両試験において陰性反応が出た場合にはまず血痕の存在を否定してもよいと考えられること、被告人車両から右の検体を採取したのは専門の鑑識係であり本件事件の性質からしてもその採取には当時慎重を期しているものと考えられるし、また採取方法に誤りがあったとも考えられないこと等の点を総合すれば、前記実況見分調書の記載及び証人内田圭二、同菊地久雄、同大川盛次らの右証言は実況見分時における同人らの錯覚に基づくものではないかと考えられる。もっとも証人木村康の当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書並びに押収してある脳片様のもの及びガーゼ片によれば、昭和五〇年一月七日千葉県警本部鑑識課長から同人に対し、脳片らしきもの若干とガーゼ片若干につき鑑定依頼がなされ、同人が右につきリューコマラカイト緑試験その他を実施した結果、右脳片らしきものは人間の大脳組織の一部であり血液型はB型であること、ガーゼ片には血液様の付着があるがきわめて微量で人血とは断定できないが、人血らしい成績(疑陽性)であったので血液型を検査したが判定不能であった旨の鑑定をしたことが明らかである。そして右鑑定にいたる経過として証人江波戸庸夫は当公判廷において概ね次のとおり供述する。即ち「自分は、昭和四二年ころから市川警察署外勤係巡査をしているものであるが昭和四六年九月二四日午前中命により本件事故現場に赴き、被害者の搬送に当った。そして当日午後市川警察署の庭で大川盛次警部補、内田圭二巡査部長の指揮で被告人車両の実況見分に立ち会ったが、その際右車両の左後部ダブルタイヤの内側と泥よけのところから人間の脳片らしいものを発見し、大川から採取を命じられて自分がピンセットで採取しビニール袋に入れそれを同所で鑑識課の大谷正巡査部長に渡した。その際大川がタイヤに付いた血液様のものをふきとっていた。採取した脳片入ビニール袋を大谷に渡したあとのことは知らない。それが県警本部鑑識課に鑑識のため提出されたことは一ヶ月くらいのちに検査から返って来たときに知った。そのときは交通係の事務室の大川係長の机の上に脳片らしきものとガーゼが書類と一緒に置いてあったが、それについて血液反応は認められなかったという印象が強く残っている。その後その物を大川係長が保管していたと思うが、自分はどこにどんな形で保管されていたのかは知らない。昭和四九年一二月中旬ころ藤原署長から右の物件を探すように命ぜられ署内を探した結果、交通係長席の後にある金属性ロッカーの中の紙箱の底の茶封筒の下から昭和四六年九月二四日自分が採取したものと同じビニール袋入脳片及び記憶にあるビニール袋入ガーゼを発見し署長に提出した。木村康が鑑定した脳片及びガーゼ片はそれと同一物である。」と。しかしながら右証拠物(押収してある脳片及びガーゼ片)が被告人車両から採取され、片岡弘道が検査した物と同一であるかどうかについては次のとおり疑問が残るものといわざるを得ない。即ち、被告人車両から採取された県警本部の鑑識に廻わされたものについては法令、規則により証拠物の押収保管について要求されている領置その他の手続が執られておらず、従って領置番号の記載もなく、その面からの同一性は全く確認できないこと、右資料は証人江波戸が大川係長の机上で見たという時点以後その所在が長年月の間市川警察署の責任者において把握されておらず、誰がどこにしまったかという保管者、保管場所、保管のいきさつ、管理状態等が全く不明であること、結局両物件を結びつけるものは江波戸庸夫の前記証言のみであるが、同証人は実況見分の補助的役割をつとめていたものであり、同証人が採取に当ったのも鑑識係に属さない同人が偶々上司から指示され誰かからピンセットとビニール袋を手渡され資料をつまみとってビニール袋に入れその場で他の警察官に渡したというにすぎず、その後の採取物の処理保管に全く関与しなかったことが明らかであり(採取した人間について同証人の証言と内田、菊地、大川の前記証言はくいちがっており、この点からも江波戸の証言に強い信用力を認め難いが、その点はしばらく措くとしても、)、右の程度で関与したにすぎない同人が三年余りの長期間を経た時点において、しかもその間同証人もかなりの同種事件を経験したであろう状況下で右両物件の同一性を断言できるかどうかははなはだ疑問であること、市川警察署管内における年平均の人身事故の発生状況は死亡事故が約二〇件前後、負傷事故が約八〇〇件ないし九〇〇件であり、そのうちにひきにげ事故も相当あるところから市川警察署において遺留ないし付着した人体組織の一部を採取保管する例が少なくないであろうこと、片岡弘道が検査した二個の検体には前記のとおりいずれも血痕付着が認められなかったこと(検察官は片岡が試薬の配合を誤ったものと主張するが、ルミノール発光試験及びリューコマラカイト緑試験はいずれも基本的な血痕予備試験でありその反応はいずれも鋭敏であり、県警本部の専門的な鑑識課員であり、数多くの血痕鑑定を経験しているであろう同人が両試験においていずれも試薬の配合を誤ったとは考えられないし、またその証拠もない)等の点を総合すれば、両物件の同一性については疑問が残るものといわざるを得ない。結局前記実況見分調書における被告人車両の血痕及び肉片付着の記載及び証人内田、同菊地、同大川の前記各証言は有罪認定の資料とはなし得ないと考える。

(三)  小出多喜男作成の「検査結果について」と題する書面には、検査の結果現場から採取した表面赤色、裏面黒色の塗膜片と被疑車両(被告人車両)から採取した同様の塗膜片との間に同一性が認められる旨の記載がある。右のうち「被疑車両から採取した塗膜片」とは被告人車両のサイドバンパーから採取したものと考えられるが(赤色塗装部分はサイドバンパー以外にない)、「現場から採取した」ものについては必ずしも明らかではない。即ち司法警察員内田圭二作成の実況見分調書によれば、現場付近における塗膜片に関する記載としては「現場付近を見分するに地点道路上に茶色様の塗膜片若干を発見したのでこれを採取した」とあるのみであり、他に塗料に関する記載として、1、被害者の作業衣右肘後部に指頭大の赤色と僅かに認められる塗料様のもの、2、被害車両の後部荷掛中央部後端に指頭大の赤色様の塗料、3、後部制動灯のソケット部分に同様の塗料を僅か、4、方向指示器の破片若干に赤色様塗料の各付着が認められる旨の記載がある。作業衣及び被害車両に付着した塗料はこれを剥がし塗膜片として検査に供し得るかについては疑問が残るし、またそのようにしたという証拠も存在しない。一方検察官から本件検査に供された物件として提出された塗膜片二個の表面の色はともにはっきりした赤色であり、従って現場から採取された塗膜片と検査に供された塗膜片の同一性についてはいささかの疑問が残るものといわざるを得ない。もっとも右の塗膜片は極く小さいものであり、これを現場で採取した警察官が一見茶色と見誤り「茶色様」と記載したことも考えられ、その同一性を全く否定することもできない。そこで進んで右の「検査結果報告書」について検討するに、右書面によれば、警察技術吏員小出多喜男は二個の塗膜片について、1、顕微鏡観察、2、紫外線照射、3、ジェフェニルアミン硫酸試薬による反応、4、発光分光分析の各検査を実施した結果二個の塗膜片の同一性を肯定していることが明らかである。ところで、弁護人から関東いすゞ自動車株式会社熊谷営業所に対する照会回答書によれば、被告人運転の大型貨物自動車は同営業所の販売に係るものであるところ、同営業所はこの販売前にサイドバンパー部分の塗料を大宮東ボデーにさせたこと、サイドバンパー部分の塗装の色は赤か黒であるが、赤の場合は名古屋塗料製シャーシーレッドが多く用いられていることが認められ、また弁護人から名古屋塗料株式会社に対する照会回答書によれば、六トン以上の貨物自動車のサイドバンパーなどに塗布する塗料はほとんど赤色の塗料(シャーシーレッド)であること、右塗料を製造するメーカーとしては関西ペイントほか六社くらいあるが名古屋塗料製シャーシーレッドの市場占有率は約10%位あることが認められる。さらに右照会書の記載によれば、(一)顕微鏡検査は塗膜表面の微視的観察のみであって塗装方法が判明するにすぎないこと、(二)紫外線照射は塗料中の螢光物質の有無が判明するにすぎず、原物質については判定できないこと、(三)ジェフェニルアミン硫酸試薬はラッカー塗料と非ラッカー塗料とを判別し得るにすぎないこと、(四)発光分光分析は塗料中の金属元素の有無を分析するにすぎないものであり、従ってこの四種の検査だけでは製造メーカーの異同さえ判定することが困難であることは明らかである。浦和地方裁判所における証人小出多喜男の証言によれば、同人も右(二)、(三)、(四)の検査で資料の同一性を判定することは困難であることをほぼ認め、同人が両資料の同一性を判定したのは主として外観による判定及び顕微鏡検査により二層に塗られた塗料の破断面がともに波状を呈していることが認められたことからこの同一性を肯定したことが認められる。しかしながら同人の右証言によっても破断面が波状を呈するのは手塗りの場合だけであるが、塗装をするときの条件によって同一人が塗っても異なる波状を呈することもあれば、また違う人間が塗っても同一波状を呈することもあるとのことであり、従ってこの波状による資料の同一性については単にその可能性があるというだけでこの断定は困難であることは明らかである。結局以上の事実を総合して考えると、小出多喜男の右検査結果は前記二個の塗膜片が同一車両に塗付されていた一つの可能性を示すものではあるが、このきめ手とはなり得ないと考える。

(四)  菊地久雄作成の実況見分調書には、被告人車両の左側中央部の防護柵のパイプ(サイドバンパー)の赤色塗料が長さ二・七センチメートル巾二・〇センチメートルに亘りけずられており地金が露出して光っていた旨の記載がある。一方内田圭二作成の実況見分調書によれば、前記三の(三)に述べたとおり、被害者の作業衣右肘後部、被害車両の後部荷掛中央部後端、後部制動灯のソケット部分、方向指示器の破片若干の四個所に赤色塗料が付着していたことを認めることができる。そこで右の被害者及び被害車両における赤色塗料の付着は被告人車両の衝突によるのではないかとの疑問が一応生じるのであるが、一方被告人車両において赤色塗料がはがれ落ちている部分は地上からの高さ四八センチメートルの地面と平行に走る細長い丸棒であるサイドバンパーの一部分のみであるのに対し、被害者及び被害車両における赤色塗料付着はそれぞれ部位を異にする四個所であり、しかもそのうち最も低位置である後部荷掛中央部の塗料付着部位でさえ地上からの高さが五六センチメートルであることを考えると、右四個所の塗料が被告人車両の衝突によって付着したとするには疑問が残るものといわざるを得ない。

(五)  飯田雄三作成の「検査結果について」と題する書面及び証人飯田雄三の当公判廷における供述によれば、同人は警察技術吏員として本件被害者中山柳三が事故当時かぶっていた白色ヘルメットと被告人が事故当時運転していた車両の左前輪及び左後輪の各前後部のタイヤ痕を石こうにより採取したもの四個について肉眼的観察及び測定比較検査により検査した結果、白色ヘルメットの右側面にタイヤ痕があること、右タイヤ痕は石こうにより採取した左後輪の前部及び後部の外輪の側面部と紋様が符合し、従ってメーカー及びメーカーの型式が同じであるが右メーカーとはブリヂストン株式会社であり、その型式はU・LUG型であること、またタイヤサイズも酷似するがそのタイヤサイズは一〇〇〇―二〇であることと判定したことが明らかである。同人の判定は右の程度にとどまり、それ以上に傷、摩耗状態などを検査し積極的にその同一性を判定したものではない。しかして右検査報告書に添付された写真を検討すると、白色ヘルメットに印されたタイヤ痕は極めて小範囲のものであり、このタイヤ痕のみでメーカー及び型式を判定できるかどうか自体疑問であるのみならず、証人黒川和夫の当公判廷における供述及び弁護人のブリヂストン株式会社に対する照会回答書によればU・LUG型をはじめとするタイヤの型式は接地面の紋様によって分類されることが認められるのであり、飯田雄三が白色ヘルメットに残されたタイヤの側面部の紋様で右タイヤのメーカー及び型式を前記のように判定できたかどうかについては疑問が残るものといわざるを得ない。仮りに同人の右判定結果が正しいとしても、前記ブリヂストン株式会社の回答書によれば、同社が製造するサイズ一〇〇〇―二〇タイヤのうちU・LUG型が占める割合は昭和四五年度は同四六年度販売実績から推則して約八五%程度と考えられること、同社の国内市場占有率は約五五%に達していることが認められ、また弁護人の日本自動車タイヤ協会に対する照会回答書によれば、トラック、バス用タイヤの国内出荷本数のうちタイヤサイズ一〇〇〇―二〇の占める割合は相当多数にのぼることが認められ、しかも事故当時は早朝であり、その時間帯に同所を通行する車両の大部分が貨物自動車であることを考えれば、前記の検査結果報告書及び飯田雄三の前記証言は、ヘルメットのタイヤ痕が被告人車両によって生じたことについての一つの可能性を示すものではあるが、このきめ手とはなり得ないと考える。

三、消極的情況証拠について、

(一)  被告人は捜査段階から公判廷を通じ事故現場付近の走行状況について、先行する普通貨物自動車を追い越そうとしてその機会をうかがいながら走行していた旨述べ、証人森比呂志の当公判廷における供述からも被告人車両のそのような走行状況がうかがえなくもないが(本件訴因もそのようになっている)、そうだとすると事故現場が二車線からなる道路であるから、被告人車両は被害者ないし被害車両が衝突転倒したと認められる左側車線でなく、隣の右側車線を走行していた可能性があるわけであるが、さらに、司法巡査酒巻良吉作成の「参考人の指示説明について」と題する書面中の森比呂志の指示説明部分によれば、同人はその図面中で被害者が倒れていた地点を一一トン車(被告人運転車両と見てよい)が通過した際一一トン車はその車体前部をやや対向車線に向けていて追い越し体勢にあったが車体全体としてセンターラインとほぼ平行であり車体右端は殆んどセンターライン上にある状況を図示しているが、司法警察員菊地久雄作成の実況見分調書によれば、被告人車両の幅員は二・四九メートルであり、司法警察員内田圭二作成の実況見分調書によれば、被害者の転倒地点における被告人車両の進行車線の幅員は六・六メートルであるから、これと右森比呂志の図示を対比すると被告人車両は右地点において進行方向左側に計数上約四メートルの車道幅員を残して走行していたことになるが、一方右内田作成の実況見分調書添付の交通事故現場見取図によれば、被害者の頭部と路端の距離が一・九メートルあり、また現場に残された血の着いたタイヤ痕と路端の距離が二・一メートルであり、この点は前記の可能性を裏付けるとともに被告人車両による轢過を否定する有力な情況証拠といえよう。

(二)  前記内田作成の実況見分調書によれば、被害者の転倒地点には約二〇メートルに亘って被害車両がひきづられたと思われる擦過痕が存在し、また大澤洋子の司法警察員に対する供述調書によれば、その頃同女は現場付近の屋内で大きな衝撃音をきいたことが認められるが、証人森比呂志の当公判廷における供述によれば、当時被告人車両の後方約五〇メートルを追尾進行していた同人が衝撃音に気づいていなかったことが認められ、早朝であり、余り車両の通行量も多くなかったと思われる状況下で同人が衝撃音に気づいていないというのは被告人車両の衝突を否定する情況証拠といえよう。

(三)  前記二の(二)で詳述したように、被告人逮捕のきっかけとなったと思われる被告人車両の左後輪及びその真上の車体部分に付着していた肉片、脳漿、血痕らしきものについて千葉県警本部技術吏員片岡弘道が科学検査をした結果、血液反応のないことが明らかになったが、同車両にはそれ以外に血痕等付着の形跡もない。

(四)  衝突部位とされている被告人車両の左前部には前記二の(四)で述べた左側サイドバンパーの傷痕以外に衝突痕と思われるものがなく、右の傷痕も前記のとおり被害者及び被害車両に付着した塗料の位置関係からして被告人車両と被害者ないし被害車両との最初の衝突の際に生じたとするには不自然であり、結局被告人車両には最初の衝突の際の痕跡が認められない。

(五)  押収してあるタコグラフ、鈴木好一作成の「事故チャート解析報告書」と題する書面の記載及び証人鈴木好一の当公判廷における供述によれば、被告人車両から取り外されたタコグラフの解析の結果、本件事故発生の時間帯において右チャート紙上には、オートバイに後方から大型貨物自動車が追突したような場合には当然記録さるべきはずの異常振動記録が認められず、同時間帯において被告人車両はスムーズに走行を続けていた旨記録されていることが認められる。

四、以上検討したところによると、情況証拠の中には被告人車両が加害車両であることの可能性を示すものも存在するが、それはあくまでも可能性を示すにとどまり、それ以上にきめ手となるものは存在せず、かえって前記三の(一)ないし(五)のような消極的情況証拠も存在するのであり、以上を総合検討すると、結局被告人車両が加害車両であることについては合理的疑いが残るといわざるを得ない。従って本件公訴事実はその証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条により主文のとおり被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 青木昌隆)

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